2011年05月07日

認識論 基礎問題Q4



Q4:統一思想から見た思惟形式について、存在形式と対応させることで説明せよ
<統一思想要綱 P564〜P568>










【TOALAゼミ】    1点

 事物が存在するためには、個体と個体が関係を結ばなくてはならないが、その時の形式(関係形式)を存在形式と言う。

 認識主体(人間)の体は万物の総合実体相であり、万物の属性と体の属性は対応している。

 人間の体(物質的形式)の存在形式は、万物の存在形式と対応している。

 人間の心(心的形式)と体(物質的形式)において、物質的形式は心的形式の対応源となる。

 体の存在形式が原意識に反映されたものが、関係像すなわち心的形式となるのである。

 この心的形式が思惟形式である。

 以上のことから、万物の存在形式がそのまま体の存在形式であり、それが原意識に反映されて思惟形式となることが分かる。
 
 統一思想から見るとき、最も基本的な存在形式として以下の10個があり、これらに対応した思惟形式がある。
@存在と力、A性相と形状、B陽性と陰性、C主体と対象、D位置と定着、E不変と変化、F作用と結果、G時間と空間、H数と原則、I有限と無限




【八ツ橋ゼミ】    1点

 人間の身体は万物の総合実体相なので、万物の存在形式はそのまま身体の存在形式となる。そして、存在形式が原意識に反映されて心的形式、すなわち関係像になる。心的形式とは、まさに思惟形式のことであって、思惟形式は存在形式を根拠として生じているのである。したがって、思惟形式を知ろうと思えば、それが対応している存在形式について学べば良く、もっとも基本的な存在形式には次の十種類がある。

@存在と力
A性相と形状
B陽性と陰性
C主体と対象
D位置と定着
E不変と変化
F作用と法則
G時間と空間
H数理と原則
I有限と無限

したがって、思惟形式も上記の形をもっている。




【審査員のコメント】

 「存在形式は思惟形式の対応源である」という意味を捉え間違わないようにして欲しい。対応源は因果関係を表す言葉ではあるが、例えば「体が疲れているので心が後ろ向きになった」という場合、「体は心の対応源」となるが、だからといって本来的な位置関係で「体が主体で心が対象」になるわけではない。

 つまり外界の存在形式(実在形式)が反映して思惟形式となるのではなく、人間自身がもとより、外界の存在形式に対応した思惟形式を備えているという点を見逃してはいけない。




posted by W-CARP JAPAN(ワールドカープ・ジャパン/全国大学連合原理研究会) at 05:17| 統一思想AL 第6回 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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