2011年05月07日

認識論 発展問題A



A:「脳の研究の世界的権威であるペンフィールドは、脳をコンピュータにたとえ、『脳はコンピュータ、心はプログラマー」であると述べた。同じく著名な脳の研究者であるエックルスも、心と脳は別のものであり、心と脳の相互作用として心身問題をとらえなくてはならないといった」。この両者の主張について考察し、統一思想認識論の主張が科学的見解と一致することを論証せよ
<統一思想要綱 P581>










【TOALAゼミ】    12点

 統一思想認識論の主張が以下の2点においてペンフィールド、エックルスの見解と一致することを示す。

【1】 心は、より高次な認識を司る独立した存在として、脳よりも上位に位置する
 ペンフィールドの比喩は、「プログラマーの価値判断と彼の力量の反映がコンピュータの動作結果であるように、人間の認識においても、脳の上位に、より高次な思考・判断をする存在があり、価値判断を下している」ということを意味する。

 エックルスも著書の中で「自己意識(心)は、サーチライトのように『大脳皮質の膨大で多彩な活動パターンの読み取りと選択を行』う」(*1)と述べている。

 これらは、統一思想認識論の認識の過程における長成的段階(悟性的段階)と完成的段階(理性的段階)の認識において、それぞれ霊的統覚・理性という性相的存在が主体となっていることと一致する。


【2】 心と脳の相互作用を通して、脳が新たな要素を獲得する
 プログラマーは、プログラムが意図通りに動作するようになるまで、「作成して実行し、その結果を見て修正し」という過程を幾度となく繰り返す。ペンフィールドはこれと同様に、心と脳の相互作用においても、そこで得られた知識や概念が、脳に新たな要素として追加されると考えた。(*2)

 また、エックルスは「自己意識が選択した選択成分を統合することによって、統一的意識体験への編成を行なう」(*1)と述べている。これは脳内の情報を心がさらに処理し、新たな観念・概念を獲得するということである。

 統一思想認識論では、理性が知識を操作して、内的発展的四位基台を形成する過程を反復しながら知識が発展していくと述べている。このように獲得された知識・観念が原型の経験的要素を形成する。この経験的原型と、先天的原型の二者が合わさった複合原型が、次なる認識に際しての判断の基準となる。原型はあくまで主体(人間)の中の心的映像であるが、原型は人間の形状(身体)の反映であり、特に経験的原型は脳の記憶中枢に保管されている。原型の発達に伴って、脳も新たな機能を獲得していくのである。

(*1)(略)自己意識が選択的かつ統一的な仕方で連絡脳全体を通して飛び交うということである。(略)サーチライトが一つのアナロジーを与える。(中略)それは大脳皮質の膨大で多彩な活動パターンの読み取りと選択を行い、さらにこの選択成分を統合することによって、統一的意識体験への編成を行なうというものである。(エックルス・ポパー共著「自我と脳(下)」p.529)
(*2)「心と脳の正体」に「脳はあらたに獲得された自動的な仕組みの働く、一種のコンピュータ」という言及がある。




【八ツ橋ゼミ】    8点

 医学・理学博士であるペンフィールドは自らの研究対象である人間の脳に関して、根本的な疑問を抱いていた。それは心と脳の関係である。この議論に対する一般的大多数の意見は、心は脳の一機能にすぎないといった唯物的な発想である。

 ペンフィールドはこの一方的な主張に対して、心という存在が脳とは個別に存在しているという立場をとったのである。彼は、医師として臨床の現場で脳の障害をもつ患者に実験に協力してもらう中で、ある事実に気付く。その研究ではてんかんを患っていた人を対象とし、彼らの脳に電力による刺激を与えていく中で、過去のある時点における記憶がフラッシュバックしたり、自分が意図せずに体が動いたりといった現象がみられた。これを受けた患者は口をそろえて、何ものかによってそういった現象が自らの脳に起こされたと感じたと証言したのである。

 この結果は、脳が電気信号によって機能しているということと、その電気信号を出している指令主体が脳の外部にある可能性を示唆しているのである。つまり、脳はあらゆる身体的な活動をつかさどる機能を持っているとしても、その機能をどのように発動させるかは脳自体ではない可能性があることを指摘しているのである。もし、そうでないとするならば、脳に電気信号を送ることによって被験者が何らかの現象を受けた時にそれは自ら自身の意図によってその結果を得たと考えても不思議ではないからである。このような臨床で得た研究をもとに、心は脳の一部ではなく脳とは別の、存在である可能性を主張したのである。

 脳科学者のエックルスは著書『心は脳を超える』の中で、生命の誕生から人間という存在への進化の過程を追いながら、脳の発達という観点から唯物論やダーウィンによる進化論等を批判した。彼は人間とその他の生物との違いは自我の有無であると説く。彼の場合は、動物の行動や、その脳を研究対象として、様々な実験を行い、既存の心を否定するあるいは脳の一部とみる理論の限界を提示しているのである。

 統一思想では、心と脳の授受作用によって精神作用が営まれるとされている。上記二人の研究は、これを示唆するものであり、統一思想の見解が、科学的見解と一致する可能性を示唆している。




【審査員のコメント】

 要綱580ページに「心理作用と生理作用の並行性」という表現が出てくる。統一認識論で述べている認識の過程が、実際の脳内で行われている生理作用と対応しているという点を論証すれば良い。

 そのために、ペンフィールドやエックルスが、どのような大脳生理学的な知見を根拠として実体二元論の立場に立つに至ったかを調査、論証できれば良いだろう。

 とは言うものの、高度に専門的な分野に入ってしまうため、回答者の苦労は想像に難くない。




posted by W-CARP JAPAN(ワールドカープ・ジャパン/全国大学連合原理研究会) at 05:20| 統一思想AL 第6回 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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