2011年05月12日

歴史論 発展問題B



B:「トインビーの歴史観の特徴は決定論を排除し、非決定論、自由意志論を主張したことにある」、「トインビーの歴史観のもう一つの特徴は、近代社会が忘却したかに見えた神を歴史観の中に再び導入したということである」、「ところで、トインビーの歴史観には統一史観に似た内容が多くある。摂理的に見るとき、トインビーの歴史観は統一史観が出現するための前段階を準備した史観であるといえる」とある。これらの内容を検証するとともに、歴史観の中でトインビーが果たした役割について考察せよ
<統一思想要綱 P510〜P512>










【TOALAゼミの回答】  16点 

 トインビーの歴史観は、今日では学術的にほとんど論じられなくなっている。しかし、大著「歴史の研究」発刊以後、 1950年代後半から1970年代にかけて、とりわけアメリカと日本で、彼の歴史思想は熱狂的ブームを巻き起こしていたのだ。彼の歴史観がすっかり下火に なってしまった原因はどこにあったのだろうか。

 「歴史の研究」はトインビーの文明比較研究の成果である。歴史の研究単位として『文明』を選んだ彼に大きな影響を与えたのはシュペングラーであった。シュペングラーは「西洋の没落」で知られる歴史学者である。シュペングラーはトインビーより先に、歴史の研究単位として国家を超えた『文化』に注目し、生誕から没落に至るパターンと歴史的同時性が存在することを発見した。文化を生物として捉え生物学的寿命と同じような寿命があるとして、第一次世界大戦当時に隆盛を極めていた西洋の没落を予見した。このシュペングラーの歴史観は円環運動であり、必ず没落の未来が待っているという点で悲観的であった。
 シュペングラーの影響を受けたトインビーは、『文明』という単位を比較研究すれば、人類史の過程を図示できる見通しが得られるだろうという仮説のもと研究を進めた。なぜなら、西欧社会の歴史を歴史そのものと同一視する近代後期の歴史学に抵抗を感じていたからだ。そして研究の末、文明の発生から解体に至る歴史過程を支配する法則を発見するに至った。
 一見、シュペングラーとトインビーの歴史観は酷似しているように思われる。しかし、両者には明瞭な違いがある。トインビーの場合、文明の発生から解体に至る歴史過程は、生物学的寿命のように非人格的に進行するものではない。歴史は人間の創造活動によって動くのだ。彼は、『挑戦と応戦』という言葉で、この創造活動を表現している。神は人間に向かって問題を提出して挑戦し、人間はそれに対して応戦する。聖書やコーランでは、個々の人間、さらに民族全体とその人格神との遭遇の連続が、人間の創造活動を生み出し、歴史を動かしている。トインビーの歴史観は、文明の発生から解体にいたるパターンと同時性は見出すものの、歴史が完全な円環運動で宿命的だとは認めない。人間の自由意志により、歴史は進行すると主張する。

 先程は歴史過程に関連して、神、聖書、コーランといった話が出た。トインビーの歴史観において特異であるのは、歴史における宗教の役割を重要視していることだ。彼は、文明の興亡が周期的に繰り返される円環運動であるのに対し、宗教の歴史は一つであり前進的であることに気付いていた。そして、重要視と いう度合いを超えて『もしかすると教会のほうが(歴史の)主役であり、(中略)文明が宗教の歴史に与えた効果ということを基準にして考察し、解釈すべきものであるかもしれない』とまで言った。トインビーをこのような考えに導いたのは、彼が歴史の性質、歴史の意味、歴史的変化の原因と意義を考えるメタ歴史家 だったからだ。実は、この点が「歴史の研究」の発刊以後、批判され続けてきた点なのだ。歴史学とは歴史考証の学問であり、その域を出て歴史の意義を考える などということは、学術的には受け入れられなかった。彼の斬新な歴史観は大衆の心を一時的に捉えはしたが、学術的に根付くことができずに廃れてしまった。

 だが、トインビーが歴史の意義を考えたことは決して間違いではない。中世のイスラム世界最大の歴史学者であるイブン=ハルドゥーンの洞察の素晴らしさをトインビーは讃えている。イブン=ハルドゥーンは、研究対象であったイスラム時代の北西アフリカの歴史が、世俗的、社会学的な説明では不十分なことを 見抜いていた。それゆえ、神を歴史の登場人物の一人に数え、歴史に一つの新しい次元を与えた。トインビーも政治や経済などの社会学的要因だけでは歴史の法 則を説明しえないことを知ったがために、歴史学に再び神を導入したわけだ。
 文明と宗教の関係に話を戻せば、歴史的同時性の初代文明はその衰退期に高等宗教の萌芽を生んだ。第二代文明は、現在なお盛んに活動しているキリスト教、イスラム教、大乗仏教、ヒンズー教という高等宗教を生み出した。これら高等宗教は同時代文明相互に見られるよりもずっと密接な類似点を持つ。神の人格性を主張しているという点だ。四つの高等宗教は同一の主題の四つの変奏曲だと彼は言う。高等宗教は人間の魂に神の光を受け入れさせるために存在し、神の国の市民になる機会を人間の魂に提供するものだとする。そして、現在の世界を西欧化に巻き込んでいる第三代文明は、高等宗教を世界的に一つに合流させる役割を果たすだろうと大胆に予測する。高等宗教の価値と信仰が一つのものであることを悟らせ、宗教統一がもたらされる。そして、神の国すなわち天国が実現し、神の参加により人類の統一が成し遂げられる。

 トインビーの歴史観と統一史観の類似点の一つ目は、人間の自由意志により歴史は変わりうることだ。二つ目は、歴史には円環運動と前進運動が存在することだ。そして、目立って酷似するのは、トインビーの表現を借りれば『唯一のまことの神』を歴史の登場人物として認め、宗教は神に至る道であり、やがては 宗教統一、世界統一がなされ神の国が実現するという歴史研究の末至った未来像だ。だが、トインビーの歴史観が非の打ち所のないものだとは言えない。歴史に おける円環運動と前進運動の理由が説明されていないことに加え、未来における統一が誰により、どのような方法で実現するかという明瞭なビジョンを提示でき ないからだ。これは歴史の始まりに関する理解が欠け、創造と復帰の法則が分からなかったことが原因だ。さらに言うなら、神の絶対的愛と真理を正確に知り得 なかったことが理由だ。よって、彼の歴史観は統一史観出現の前段階を準備した史観だということができる。

 従来の歴史学者からは、トインビーは歴史学者ではなく予言者だとさえ言われ非難された。しかし、記録物から歴史を考証する範疇に固執する外的知追求 の歴史学に風穴を開けたのがトインビーなのだ。彼は、歴史の意義と未来像を提示してきた宗教と学問としての歴史学を調和、統一せんとした第一人者である。歴史観の中心に神を取り戻す足掛かりを彼は築いたのだ。




【東北大STゼミの回答】  12点 

 統一史観の独自性は歴史を神の人類に対する再創造および復帰摂理歴史であると見るところにある。しかしこれは従来のものと共通する部分はありつつも、新しい価値観を中心とするために受け入れ難い部分が多かったのであった。そこで従来の歴史観と統一史観の架け橋となったのがトインビーの歴史観であった。それというのも、彼の主張は従来の歴史観とつながりを持ちつつ、多くの部分で統一史観と類似していたからである。その中でも特に重要と考えられる点は大きく3つある。

 まず、トインビーの歴史観における神観である。近代の歴史観の多くが無神論の立場をとる中で、歴史の方向に神の理想を組み入れたことが大きな特徴である。さらに、従来の有神論的歴史観は神を中心とした超現実的な歴史観であり、現代の知識人が理解し難いのに対し、トインビーは神の理想に向かう可能性を示しながらも、あくまで歴史を築いていくのは人間というところに多くの人々の理解を得られた部分があった。そうして、歴史が神の創造理想を目的としているという統一史観に人々を一歩近づけたのである。

 次に重要な観点はトインビーが非決定論の立場で歴史は人間の自由意志によって決まるとしたことである。従来の歴史観が決定論の立場をとり、歴史は神などの形而上学的な要因によって決定され、人間の入る余地がない立場をとるのに対し、トインビーはあくまで時代ごとで人間が選択する自由意志によって歴史の方向は決定されるするのである。これは歴史の最終目的は神の理想として絶対的に決定されながらも、その過程は人間の意思決定により相対的に決定されるという統一史観に従来の歴史観からより近づいた考え方である。

 最後にトインビーの言う三代にわたる文明の継承は統一史観による摂理的同時性と近い考え方である。従来は歴史が繰り返されるという発想はあっても、個々の事象が独立しており、その関係性を見出しにくかった。しかし、トインビーは文明の興亡のつながりを見出し、前文明から新しい文明への受け継ぎを「親子関係」と表現し歴史の有機的なつながりを見出したことは、神の創造理想に向かって反復しながらも前進し続けるとする統一史観の螺旋運動につながる考え方である。

 このようにトインビーの歴史観は統一史観と多くの類似点を持っており、人々が従来の価値観から新しい価値観へ移行する際の大きな助けとなったのである。




【和源ゼミの回答】  10点 

 トインビー(1889-1975)は、人間の歴史観を論ずる上で多大な影響を残した歴史家である。従来の歴史観には、人間は常に歴史の力や法則に引きずられている受動的な存在にすぎず、人間の自由意思による努力により、歴史を変えていくことは不可能だとする決定論の立場があるが、彼によれば、世界史を構成する究極的な単位は個々の文明であり、文明は誕生、成長、挫折、解体、消滅の段階を経ると主張した。そして、文明発生の原因は、自然環境や社会環境からの挑戦に対する人間の応戦にあるとした。また、挑戦に対していかに応戦するかということは、人間の自由意思にかかっているがゆえに、歴史の進む道は決して、あらかじめ決定されているのではなく、人間は未来を選ぶことができる。つまり、非決定論、自由意志論を主張したのだ。
 彼は「歴史とは、真剣に神を求める人々に、御業によってみずからを示し給う神の御姿の、おぼろげで不完全な影像に外ならない」と論じていたり非決定論の立場から、「神の国」か「闇の国か」の未来の選択は、人間の自由意思にかかっていると主張したりし、共産主義が勢力を出した近代社会において神を歴史観の中に再び導入した。

 また、従来の歴史観が決定論の立場であったのに対し、統一史観は、歴史の目標は決定的であるが、摂理的事件の成就には神と人間の双方の責任分担の遂行を必要とする、歴史の過程は非決定的だとした。ここにおいて彼は自由意志論の立場から非決定論を主張し、ある意味補うように従来の歴史観にはなかったものを取り入れたことにより、その後の統一史観へとつながっていくことから、「従来の歴史観と統一史観を連結する橋の使命をもっていた」(513貢)と考えられる。

 トインビーは、人生の中で「歴史の研究」という本を書いている。彼は豊富な資料を検証しながら、「どんな高度な文明でもいつか必ず内部的に壊れ、没落する」と考えた。調べていくうちに、成熟期の文明は慢心によるマンネリ化を産み、それが原因で腐り始めると説いた。成熟期の文明は中から腐り始めるが、その文明の恩恵が及ばない辺境では新たな動きが現れ、それがやがて力を付けると、自分たちを抑圧していた文明を滅ぼして新たな力強い文明を作り上げていくと考える。歴史はそれの繰り返しであり、「歴史は現在に生きている」と言った。しかし、従来の歴史観が国家や文化の滅亡は運命的で希望を見出せなかったり、人間は歴史の力や法則に縛られている存在だとする消極的な立場からしたら、彼は隆盛期においても慢心せず創造的力を発揮すれば、没落の危機は回避されると述べ、歴史観の中に希望の光を見出し、現在をいかに生きるべきかを提示し、一方向からの歴史観に違う角度から鋭く踏み込んできた感が否めない。その意味で、彼の歴史観は従来のものから現在に至るまでの統一史観を述べる上で、その前段階の非常に重要な役割を果たしたと言える。




【八ツ橋ゼミの回答】  8点 

 トインビーは、歴史は神の人間に対する「挑戦」に対して人間が「応戦」することによって進展してきたと考えた。神の「挑戦」とは、人間に向かって何らかの課題を提出することで、人間の「応戦」は、神の「挑戦」に対して何らかの反応を示し、対処をしていくことである。トインビーは、一連の「挑戦」および「応戦」による結果は、「応戦」の仕方によって変わってくるし、「応戦」は人間の自由意思の基づくとしている。

 さらにトインビーは、世界には非人格的な「自然の法則」と人格的な「神の法則」が調和的・統一的に存在するとした。トインビーが登場したころの歴史の分析は、アウグスティヌスによる神中心の歴史哲学が、キリスト教そのものや常識に合わないということが明らかになってきたために、非人格的な科学的分析が主流であった。したがって、トインビーのこの考え方は、この時代において新しいものであったといえる。

 上記より、トインビーが「非決定論、自由意思論を主張」していることや、「神を歴史の中に再び導入」したことが見て取れる。また、トインビーは、生きた時代が1889〜1975年であり、再臨主が来た時代の少し前に生まれ、真理に近づく道は、自らの宗教以外にもあるかもしれないと説くヒンズー教の教えを進んでいると評した。このことから、統一思想を証すべく生まれてきた人物であったと考えられる。




posted by W-CARP JAPAN(ワールドカープ・ジャパン/全国大学連合原理研究会) at 14:55| 統一思想AL 第5回 歴史論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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