2011年05月12日

歴史論 基礎問題Q6



Q6:摂理史観と唯物史観と統一史観を比較し、統一史観の優位性について述べよ
<統一思想要綱 P513〜P520>









【東北大STゼミの回答】  3点 

 摂理史観および唯物史観と統一史観を比較してみる。

 摂理史観は歴史の法則性を示していないので歴史の流れ方がよく分からないばかりか、要所要所が神秘的に過ぎて現実的な合理性に欠くのに対し、統一史観は創造理想世界という具体的な目的を示し、授受作用の法則などの歴史が持つ法則性までも明確に示していることからより合理性があると考えられる。

 唯物史観は歴史の原動力を生産力の発展とするなど、その理論だけをみれば現実的であり合理性を持っている。
 しかし、階級のない「自由の王国」を目指した共産主義社会が、現実にはその不自由さから崩壊しつつあることは唯物史観の妥当性を疑うに足るものである。

 対して統一史観は現実的なだけでなく、歴史の同時性などを見てもその法則は史実とよく一致しており十分な妥当性を持っている。

 したがって、摂理史観、唯物史観に比べて統一史観は優れているということができる。




【八ツ橋ゼミの回答】  3点 

 摂理史観は神秘的で非合理なものであり、現代においては説明力を持ち合わせていない。
 例えば、歴史を神の摂理と見ているが、法則が提示されていないために、摂理がいかに進行するのかが分からない。
 また、終末に訪れる世界の具体像が明らかにされていない。さらに、終末には善の国の人々のみが幸福になり、悪魔にしたがった人たちは永遠に罰を受けるとしている。

 唯物史観は現実性と説得力は持っているが、唯物史観が提示した法則は、歴史的な事実に合わない。
また、理想郷はプロレタリアートがブルジョアジーを暴力的に打倒することで実現されるとする。

 一方で統一史観は、摂理史観の延長上に生まれたものであるが、合理的な歴史観として提示されたものであり、さらには歴史的事実にも一致する。
また、上記二つは理想世界でも全人類が幸せになるわけではないが、統一史観では全人類の幸福を示している。




【TOALAゼミの回答】  2点 

 キリスト教摂理史観は神秘的、非合理的であり、今日にいたっては説得力を持ち得ない。
 歴史を神の摂理と見てはいるが、法則が提示されておらず、摂理がいかに進行するかが不明だからである。

 唯物史観は、キリスト教摂理史観に比べれば現実性と合理性を持っているが、提示した法則は歴史的事実とは合わない。科学的歴史観だと誇っていたが、 虚構の法則にすぎず、革命を合理化するための似非法則だった。共産主義社会であったソ連が地上から滅びてしまっていることがこれを証明している。また、唯 物史観ではプロレタリアートがブルジョワジーを打倒することになっている。しかし、真の理想世界では全人類が幸福にならねばならないはずだ。

 統一史観は、キリスト教摂理史観の延長上に生まれたものであるが、キリスト教摂理史観の神秘聖、非合理性を克服している。それゆえ、共産主義のキリスト教への讒訴をも克服しうるものである。




【和源ゼミの回答】  1点 

 摂理史観は、歴史は人間の創造と堕落から始まり、最後の審判に至る救済の」歴史であり、歴史を動かしているのは神の摂理であるという主張である。
 しかし、摂理史観においては、人間は神によって動かされる道具的存在にすぎなかった。
 そしてその歴史観は神秘的なものを含んでおり、論理性や法則性が欠如していて、今日社会に至っては社会科学として受け入れがたいものとなっている。
 そして、唯物史観によれば、歴史を動かしているのは理念とか精神の発展ではなくて、生産の力であるとしたが、生産力がいかにして発展するのかということに対して唯物弁証法的な説明がなされなかったし、唯物史観が主張するような階級闘争による社会変革が成功した例は一つもなかった。
 このように、唯物史観は、虚構の理論であったことが分かる。




【審査員のコメント】
※本誌「MOONISM」に掲載した【東北大STゼミ】に対するコメントのみ

摂理史観は現実性と合理性が欠如した歴史観であり、唯物史観は歴史的事実に合わない虚構の理論であると指摘した上で、両者の不完全性を克服した統一史観に優位性があると説明できている点は評価できる。さらに、統一史観が全人類の幸福を保証するものである、ということにまでに言及されていればなお良い。



posted by W-CARP JAPAN(ワールドカープ・ジャパン/全国大学連合原理研究会) at 16:02| 統一思想AL 第5回 歴史論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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