2011年12月27日

論理学 発展問題A



A:統一論理学の立場からヘーゲル論理学を考察せよ。
(注)ヘーゲル論理学(P616〜P625,P650〜P654)、統一論理学(P630〜P649)を参考にせよ。特に、「ヘーゲル哲学は多くの問題点を抱えていたが、そのような誤りを生じた原因は、彼の論理学にあったと見ざるをえない」(P652)、「ヘーゲルの思想方式は彼の聖書研究に基づいた特有の方式であるという」(P653)という観点を踏まえること。










【TOALAゼミの回答】 16点


 ヘーゲル論理学は、神の思考法則や発展形式を研究する学問である。神の思考の展開から、自然、歴史、国家に関する思考に発展し、芸術、宗教、哲学の諸規定、諸法則まで取り扱う。

 ヘーゲルは論理展開の出発点を有−無−成の弁証法とした。有−無−成のトリアーデ(三段階過程)を基本として正−反−合、肯定−否定−否定の否定、定立−反定立−総合の弁証法的論理が成立している。

 論理学を構成するトリアーデは有−本質−概念であり、概念の段階において絶対精神(神の思考)は絶対理念となる。絶対精神は論理学の段階を通過して、絶対理念となって外部に現れたのち、自然界となり(自然哲学)、さらに人間を通じて主観的精神−客観的精神−絶対的精神(精神哲学)となる。最終的には出発点である自己自身すなわち絶対理念に戻る。

 次に統一論理学の立場から、ヘーゲル論理学を批判してみる。

 ヘーゲルは概念の発展法則に弁証法を適用した。有−無−成の三段階過程は弁証法の出発点であり、核心である。ヘーゲルは、有と無を対立していると捉えたが、本来は無は有の解釈であるから、両者が分かれているわけではない。

 次に問題になるのは、概念が自己発展する点である。統一思想において、概念は神の心の中で、目的を中心として内的性相と内的形状が授受作用することによって形成される。そのため、概念自体が自己発展することはあり得ない。ヘーゲルの弁証法では、自然を理念の自己疎外または他在形式であると見た。この論理は、汎神論や唯物論に転化する素地となった。

 これらの問題が生じた原因は、概念の発展を正反合の弁証法的発展として捉えたところにある。概念は自己を疎外して自然となり、その後、人間を通じて精神となって本来の自己に回復するという。また、ヘーゲルの対立の哲学は彼の聖書研究に由来している。「一粒の種が落ちて死ななければそれはただ一粒のままである。しかし、もし死んだら豊かに実を結ぶようになる」、「私はよみがえりであり命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる」という聖句があるヨハネ福音書をテーマにしている。

 ヘーゲルは神をロゴスまたは概念としてとらえ、神が自己を外部の世界に疎外したと見たのである。そこにヘーゲルの誤りの根本原因がある。

 統一思想から見ると、神は心情(愛)の神であり、愛を通じて喜ぼうとする情的衝動によって、創造目的を立て、ロゴスをもって宇宙を創造した。そのときのロゴスは神自体内で形成された構想であり、神そのものではない。ヘーゲルの弁証法では、神の心情(愛)や創造目的は説明されず、神は創造の神ではなく、一種の生命体として捉えられた。







【八ツ橋ゼミの回答】 10点


 ヘーゲル論理学は、ドイツの哲学者ヘーゲルによって立てられた論理学である。この論理学は、概念の発展を正反合の弁証法的発展としてとらえ、概念(理念)は自己を外部に疎外して自然となり、その後、人間を通じて精神となり、本来の自己を回復するというものである。彼はこの論理学を通して、神の思考がいかに発展していくのかということを明らかにしようとした。

 しかしながら、上記のように概念の発展をとらえると、いくつかの問題点が生じてくることがわかる。それは、自然が、人間が発生するまでの中間過程に過ぎない存在となっている点や、人間が絶対精神によって操られる人形のような存在になっている点などである。

 このような問題点が生じた根本的な理由は、彼が神をロゴスまたは概念としてとらえ、そしてそのような神が、自己を外部の世界に疎外したとみたところにあった。彼のこのような思考は、彼の聖書研究に基づく特有なものであるといえる。すなわち、高い総合のうちに止揚されるヘーゲルの対立哲学は、「一粒の種が地に落ちて死ななければそれはただ一粒のままである。しかし、もし死んだら豊かに実を結ぶようになる」、「私はよみがえりであり命である。私を信じる者は、たとえ死んでも生きる」というヨハネ福音書をテーマにしたものであった。

 ヘーゲルが、神を上記のようにとらえてしまったのは、彼が思考における概念の発展にとらわれすぎて、神の愛なる側面を重要視しなかったことがあげられる。これは、彼の家庭環境や人生行路(特に彼の母親の教育)がなさしめたことであるのだが、それゆえにヘーゲルは、神はただ成長する一種の生命体のような存在であると考えたし、発展法則を「対立」として考えてしまったのである。もし彼が愛を深く知っていたのならば、神を相対のいない存在としてとらえなかったはずであるし、発展も対立ではなく、愛による一体化によって成されるととらえていただろう。正分合を正反合としてとらえたり、神をロゴスや概念としてとらえたりしたのも、すべてここに原因があったのである。

 したがってヘーゲル論理学は、彼が、神の愛なる側面をはっきりと知ることができずに思考にとらわれすぎたため、統一論理学の一面しかとらえられず、結局矛盾をはらんでしまった論理学であると考察される。







【和源ゼミの回答】 14点


 ヘーゲル論理学は、「神の思考がいかなる法則や形式によって発展したか」を、哲学的に説明しようと試みたものである。ヘーゲルにとって神の思考は、神自体に関する思考から、一定の法則に従って自然に関する思考に発展し、歴史、国家に関する思考へと発展し、最終的には芸術、宗教、哲学に関する思考にまで発展する。ヘーゲルは、「神をロゴスまたは概念として理解」し、概念が宇宙創造の出発点であると考えたのである。

 ヘーゲル論理学において論理展開の起点となっているのが、有−無−成の弁証法である。ヘーゲル論理学は有から始まるが、「有」とは単に「ある」ということにすぎず、「最も抽象的な概念」であり、無規定で空虚な思考である。故にそれは否定的なものすなわち「無」と区別がない。その両者の統一が「成」である。これが最初の具体的な思考であるとし、成には有と無の矛盾が内包されていて、この有−無−成の三段階が、ヘーゲルの弁証法的論理を成立させているわけである。

 しかし、そこには問題がある。ヘーゲルは、有自体では発展がないから、対立するものとして無を捉えたが、本来区別のないはずの両者をあたかも対立しているかのように説明してしまった。ヘーゲル哲学は「出発点からすでに誤謬があった」のである。

 次に問題となるのは、概念が自ら発展するという点である。ヘーゲルは「有論」と「本質論」の統一としての「概念論」で、「他者に変化しながら自己であることをやめない事物のあり方、すなわち自己発展が考察されている」が、統一思想からすれば、概念は内的形状に属し、目的を中心として、内的性相である知情意の機能が内的形状に作用することによってロゴスが形成され、それが新しい概念となるのである。したがって、ロゴスや概念は神の心のなかで授受作用により形成されるのであって、それ自体が自己発展することはないのである。

 また、ヘーゲルの弁証法から自然を理念(ロゴス)自体の自己疎外または他在形式であると見、これは汎神論に通じる考えである。ゆえにヘーゲルの思想方式は「一粒の種が地に落ちて死ななければそれはただ一粒のままである。しかし、もし死んだら豊かに実を結ぶようになる」、「私はよみがえりであり命である。私を信じるものは、たとえ死んでも生きる」という聖書研究に基づいた方式であるが統一思想では汎神論は、すべての被造物において神相が現れているという見方により克服することができる。




【審査員のコメント】
※本誌「MOONISM」に掲載した【TOALAゼミ】、【和源ゼミ】に対するコメント

 ヘーゲル論理学の問題点としては、「有無成の三段階過程」「ロゴスの自己発展」の二点が挙げられる。

 有無成については、本来は区別することのできない有と無を分けて考え、対立することによって発展すると説いたこと。そして、ロゴスの自己発展については、ロゴスが一種の生命体のように我々の頭の中で自然に発展するといった捉え方をしたことなどが言及されていれば良い。

 また、その原因として、ヘーゲルが神の愛なる側面を重要視せず、神をロゴスや概念として捉えていたことにも触れておく必要があるだろう。






posted by W-CARP JAPAN(ワールドカープ・ジャパン/全国大学連合原理研究会) at 13:24| 統一思想AL 第7回 論理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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